ルイ・ダゲール:写真の礎を築いた男
その多くの功績で写真史に名を残したルイ・ダゲール―そもそも写真の歴史は彼から始まりました。現在まで語り継がれている彼の軌跡をロモグラフィーが紹介いたします。
視覚芸術界での先駆者、ダゲール
写真界で名をはせる前、フランス人であったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは、ジオラマ発明や視覚芸術、そして舞台芸術においてその才能を開花させていました。
フランス人画家のピエール・プレボの指導の下、ダゲールは後に自身の舞台芸術におけるキャリアで功績を残す、回転画(パノラマ)と建築の技を磨きました。
また照明の効果によって像が動いているように見えるミニチュアレプリカで出来たジオラマシリーズは、そのリアルさが受け、1822年にパリで大流行しました。ジオラマは動く画、そしてその後に発展する映画の歴史の幕開けとなる重大な出来事であり、 Historic Camera は「驚くべきジオラマを発明したダゲールが舞台装置と映画産業の進化の先駆者となった。」と記しています。
最強の協力者、ニセフォール・ニエプスの登場
とどまるところを知らない好奇心は彼が成功者となった後も途切れることはありませんでした。
「見えるものをそのまま捉えたい」という衝動そして情熱はジオラマに注がれた後も継続して、ダゲレオタイプの発明にも注がれました。そして1828年、ニセフォール・ニエプスに出会い、その情熱はより確かなものへと移り変わります。 Britannica Encyclopedia によれば、ニエプスとダゲールの協力関係は「時間そして実体をイメージとして捉えたい」という共通した思いにより、より強固なものへとなったそうです。
ニエプスは光を変えることでさまざまな効果を出せるジオラマを展示会をロンドンのリージェンツ・パークに建てられた施設で公開(1839年に焼失)。また彼は太陽光の作用で永久的な画像を得ようと1814年から試行し続ていました。
こうしてダゲールと出会ったニエプスは、日光で像を描く写真黎明期の撮影方法、ヘリオグラフィーを発明するに至ります。また Photo Museum によれば、ダゲールとニエプスは、銀板とラベンダーオイルの樹脂を使い日光で露光させる写真撮影初期の別の方法であるサイソウトタイプも発明しました。このように二人は出会った日からニエプスが亡くなる1833年まで協力し合い、またニエプスが亡くなった後ダゲールはニエプスの発明の改良にも力を入れていきました。
世界で初めて商業化された写真技術:ダゲレオタイプ
実はダゲールとニエプスは写真がどのように発展していくべきか、意見が異なっていたと言われています。Britannica Encyclopediaによると「ダゲールの興味は短い露光時間で現実世界を写しとること、しかしニエプスは再生可能な写真撮影用のプレートを作る事に興味を持っていた。」そうです。
そうしてニエプスの死から3年経った時、ダゲールは露光時間を8時間から30分へと減らす画期的な発明に成功しました。この発明はダゲレオタイプであり、19世紀の人々に受け、瞬く間に広まりました。さらにBritannicaには、「ダゲールはヨウ化銀の板に目に見えない像を形成し、それを水銀蒸気にさらすことによって『現像』し、可視化できることを発見した」と書かれています。
ダゲレオタイプの写真は複製が不可能であり、多くは著名人の肖像画として使われました。しかしながら、ダゲレオタイプは科学的証拠を撮影するためにも使用されました。また印画紙と比べてもろく重かったため、多くの場合、ダゲレオタイプは保護用の金属に包まれていました。
写真は芸術そして科学という二つの分野にまたがっており、どちらにおても語り継がれています。その特長を活かし、ダゲールは両分野においてダゲレオタイプを広めていったのです。
世界的価値のある遺産
歴史の中で、多くの研究や記録が日の目を見ず時間の流れと共に葬られていることはみなさんご存知だと思います。その危機にダゲール自身も直面したことが実はあります。なんと1988年にダゲールの研究所が火事に遭い、彼の初期の実験の大部分の発明と記録は灰へと化したのです。
しかし、幸運なことに燃えずに残った遺品は彼の名とをその発明と共に歴史の中で不滅にするには十分でした。彼の軌跡は芸術史のビッグバンであり、写真史を登場させ写真を芸術の世界へ参入させたのでした。
本物を忠実に写し出すことが出来た発明に、20世紀の芸術家と科学者がどれだけ絶望したか、ということも特筆すべきでしょう。ダゲレオタイプは絵画やその他の模写する技術と比較してもしきれないリアリズムを提示した初めての写真法でした。
Franklin Institute によると、
ダゲレオタイプは今まで絵画が捉えることのできなかった明瞭さとリアリズムを提供することができました。1850年代の中頃になると、世界中に広まった何百万ものダゲレオタイプが、生から死まであらゆる光景を記録するようになります。こうして写真を撮ることはごく当たり前の行為になっていきました。スタジオで肖像画を撮ることから始まり、毎日撮影が行われるまでに至るにはそこまで時間はかかりませんでした。
ヨーロッパで写真が全盛期を迎える中、アメリカの写真家たちは約20年間、ダゲレオタイプに固執していました。電信機とモールス信号の発明で有名な科学者サミュエル・モールスはダゲレオタイプを扱った初のアメリカ人でもあり、その正確さに魅了された人物です。 American Daguerreotypes によれば、「この大発見は微視的自然調査において、新しいフィールドを開きそうであります。博物学者は探検する新しい王国を、顕微鏡と同じかそれ以上に裸眼で見ることが出来るようになったのです!」とまで語っています。
また太平洋の向こうでは、一人の日本人がダゲレオタイプを使って日本初の肖像画を撮影しています。日本の写真界における先駆者の一人である市来四郎が、彼の大名・島津斉彬の肖像画を撮影していたのです。
ダゲレオタイプは決して完璧ではありませんでした。決定的な欠点は露光時間の長さであり、素早く動く対象を捉えることが出来ません。しかしダゲレオタイプは驚くべきスピードで発展した発明であったことに変わりなく、まるで魔法のように写し出される描写に人々は魅了されました。ダゲールの発明はそれ以前の写真史のどの発明よりも革命的であり、彼の功績は写真史の礎を築き上げたのです。
ロモグラフィーはダゲールの遺産を甦らせます

Daguerreotype Achromat Art Lens — 長い間忘れられていた写真黎明期のカメラが写し出す幻想的で優美な写真が、現代によみがえる!写真技術が生み出された19世紀のロマンチシズム、そして当時の絵画に見られる美学。そんな古き良き時代のエッセンスを真鍮製のレンズに詰め込み、21世紀のカメラに対応する形に設計されました。シルクのように柔らかくて美しい写り、クリスタルのようにシャープでキレのある写りの両方を導き出すこのレンズに、Lumière (ルミエール) とAquarelle (アクエール)というユニークな絞りプレートが今回新たに加わります。Canon EFマウント、もしくはNikon Fマウントのレンズマウントから選択でき、一本一本のレンズがハンドメイドのプレミアムレンズです。そんな Daguerreotype Achromat Art Lens が、Lomography Art Lensシリーズに新たに加わりました。
→ Lomography Daguerreotype Achromat 2.9/64 Art Lens 製品情報
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→ MotionGallery 「19世紀にタイムスリップ!ダゲレオタイプのレンズを復刻: Daguerreotype Achromat Art Lens Daguerreotype Achromat Art Lens」
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